2014.5.26旦那さん弁当と大河ドラマ「官兵衛」をさらに楽しむために
« 播州織で作るお弁当包み | 2014.5.27旦那さん弁当 »2014年5月26日 | Posted by みのこ under お出かけ, お弁当, 散歩写真 |
- 白いご飯にゴマ昆布
- ほうれん草の胡麻和え
- 明太子スパゲッティ
- 黒豆
- ひじき煮入りだし巻き卵
- 赤ウインナー
- パセリ入りパン粉焼き
- キャベツの千切り
〈昨日のお出かけ記録〉
黒田官兵衛を知る
2014年度大河ドラマは「黒田官兵衛」。兵庫県には官兵衛のゆかりの地がたくさんある。ということで、大河ドラマをさらに楽しむために、ゆかりの地めぐりをしている。
昨日訪れたのは、「広峯神社」
広峯神社の由縁
広峯神社は2千年以上前にスサノオノミコトがご鎮座され、奈良時代にこの山を訪れた吉備真備(きび の まきび)が御信託を受けて社殿を建立したと伝わっています。唐で陰陽道を極めた真備がこの学問を日本に広めたいと考え、スサノオノミコトを「星の運行を司る神」で「祇園精舎の守り神である牛頭(ごず)天王の化身」であるとして日本の暦を司る神としました。
牛頭天王は疫病の神として崇められ、平安時代に都で疫病が流行った時、清和天皇の夢枕にお告げがあり、広峯の御分霊を京都にお迎えしたところ疫病が収まり、それを祝ってはじめられたのが祇園祭で、その後建立されたのが八坂神社です。鎌倉時代より広峯神社は祇園本社として崇敬を集め、室町時代には熊野にも劣らぬほどの参詣者が山を訪れたと記されています。(「よってくだんひめじ まち案内マップ」より転記)
黒田官兵衛と広峯神社
江戸時代の「夢幻物語」によれば、官兵衛の祖父重隆は広峯神社に参詣。御師・井口大夫から黒田秘伝の目薬を依頼され、ほどなく艶福長者となったと記されています。当時の広峯神社の大別当は官兵衛の主君・小寺政職の弟であり、広峯神社の御師の中に官兵衛と同じ家紋を持つ黒田姓の家があることからも、黒田家と広峯神社の深い関係がうかがえます。広峯神社は農耕の神として崇められ、農業指導なども行っていました。備中高松城の水攻めや普請など土木工事に長けていたのは、御師たちが農地改革など土木工事の知識を持っていたからでしょう。(「よってくだんひめじ まち案内マップ」より転記)
広峯神社の感想
以上のように、難しい文章を読むことに何度も挫折した…が、簡単にいうと、広峯神社は八坂神社の親神社のようなもので、いまでこそ知名度は低いが室町時代には多くの参詣者が訪れるほどであった。祇園祭の始まりも広峯神社だということ。黒田家と広峯神社の御師とは目薬が縁となり、深くつながっていた。
ということだと、理解した。とにかく、広峯神社はとても大きく立派で歴史を感じさせられた。
記憶に残る広峯神社
タイムスリップしたかのような参道。赤いコーンがとても残念…
崩れてしまいそうな、土壁
神社石段の上からみえる景色。
最後に、玉垣に刻まれた名前(地元有力者?)を見るのも楽しかった。